「自分はマネジメントに向いていない」
そう思い込んでいた時期がありました。
プレイヤーとしての仕事はそれなりに回せていた一方で、人をまとめる、育てる、チーム全体を見る――そうした役割に対して、どこか噛み合わない感覚があったからです。
周囲にいる“うまくやっているマネージャー”と自分を比べるほど、「これは自分の役割ではないのかもしれない」と感じるようになっていきました。
ただ、時間が経って振り返ってみると、その判断は必ずしも正確ではありませんでした。
向いていなかったのではなく、マネジメントという役割を誤って捉えていただけだった――そう気づいた瞬間があったのです。
この記事では、私が「マネジメントに向いていない」と思い込んでいた理由と、後から分かったその誤解について整理していきます。
今まさに同じような違和感を抱えている人にとって、少し視界が開けるきっかけになれば幸いです。
「自分はマネジメントに向いていない」と思い込んでいた頃の話
当時の私は、「自分はマネジメントに向いていない」と、かなり早い段階で結論を出していました。
明確な失敗があったわけではありません。ただ、やってみて感じた“しっくりこなさ”が、そのまま判断につながっていたのだと思います。
プレイヤーとしての仕事は、それなりに順調でした。
任されたタスクを整理し、期限内に仕上げる。技術的な課題があれば自分で調べ、試し、解決する。
少なくとも「仕事が回らない」「評価が極端に低い」と感じる状況ではありませんでした。
一方で、マネジメント的な役割を意識し始めた頃から、違和感が増えていきました。
メンバーの状況を把握する、進捗を気にかける、声をかける。
頭では必要だと分かっていても、どこか自然にできていない感覚がありました。
特に苦手意識が強かったのは、「人に影響を与えている」という実感のなさです。
自分なりに考えて伝えているつもりでも、相手がどう受け取ったのか分からない。
手応えがないまま時間だけが過ぎていくと、「これは向いていないのではないか」という考えが強まっていきました。
周囲を見渡すと、いわゆる“マネジメントが得意そうな人”がいました。
場の空気を和らげ、自然に会話を回し、チームの雰囲気を作る人。
そうした姿と自分を比べるたびに、「自分はこのタイプではない」と感じてしまったのです。
次第に、「できない」ではなく「向いていない」という言葉で、自分の中の違和感を整理するようになりました。
向いていないなら無理にやらなくていい。
そう考えることで、ある意味では気持ちが楽になっていたのも事実です。
ただこの時点では、
・なぜ違和感があったのか
・何が具体的にできていなかったのか
・本当に“不適性”だったのか
そこまで深く考えることはありませんでした。
「自分はマネジメント向きじゃない」
その一言で、思考を止めてしまっていたのだと思います。
なぜ私はマネジメントに向いていないと思ったのか
今振り返ると、私が「マネジメントに向いていない」と感じた理由は、能力そのものというよりも、いくつかの思い込みが重なった結果だったように思います。
当時はそれに気づかず、「合わない」「苦手」という感覚だけを根拠に、結論を出していました。
一つ目の理由は、人を動かす感覚がつかめなかったことです。
指示を出したり、方向性を伝えたりすること自体はやっていましたが、それによって相手がどう変わったのかが見えにくかった。
成果が数字や完成物として返ってくるプレイヤーの仕事と違い、マネジメントの手応えは非常に曖昧でした。
この「手応えのなさ」が、私には致命的に感じられていました。
やっていることが正しいのか分からない。
評価されているのかも分からない。
その状態が続くほど、「これは自分の得意領域ではない」という考えが強くなっていったのです。
二つ目は、人との関わり方に対する苦手意識でした。
雑談を交えながら距離を縮める、感情の変化を察して声をかける。
そうした振る舞いが、自然にできるタイプではありませんでした。
もちろん、最低限のコミュニケーションは取っていました。
ただ、「マネージャーならもっとできるはず」「こうあるべき」という理想像と比べると、自分は大きく欠けているように見えてしまったのです。
三つ目は、「向いている人」の基準を、無意識に高く設定しすぎていたことです。
周囲にいるマネージャーの中でも、特に目立つ人、うまく回している人だけを基準にしていました。
結果として、自分との差ばかりが強調され、「自分はその枠に入れない」と思い込んでいきました。
さらに言えば、経験不足を性格の問題に置き換えていた面もありました。
やり方が分からない、慣れていない、試行錯誤の途中。
本来ならそう捉えるべき状況を、「自分の性格的に向いていない」と解釈してしまっていたのです。
こうして振り返ると、
・手応えが見えにくい
・理想像と比較してしまう
・未熟さを不適性だと勘違いする
これらが重なり、「マネジメントに向いていない」という結論に至っていました。
ただ当時の私は、その結論を疑う余裕すらなく、それ以上深く考えることをやめてしまっていたのだと思います。
当時の自分が無意識に抱いていたマネジメント像
当時の私は、「マネジメントとはこういうものだ」という像を、かなり一面的に捉えていました。
それは誰かに教えられたものというより、周囲の様子や過去の経験から、無意識に作り上げていたイメージだったと思います。
まず頭にあったのは、マネージャーは常に人を引っ張る存在である、という考えでした。
チームの先頭に立ち、迷いなく方針を示し、周囲を納得させながら前に進める。
そんな姿を理想像として思い描いていました。
次に、「人付き合いが得意であること」が前提条件のように感じていました。
場の空気を和ませる雑談力、相手の感情を察する感受性、衝突を丸く収める調整力。
これらが自然にできる人こそが、マネジメントに向いている人だと考えていたのです。
このイメージの中では、論理や整理よりも、感情や雰囲気を扱う能力が重視されていました。
だからこそ、物事を構造的に考えることや、一人で黙々と考える時間を好む自分は、最初から不利な立場にいるように感じていました。
また、マネージャーは常に「正解」を持っている存在だという思い込みもありました。
何か問題が起きたときには、即座に答えを出し、迷いを見せずに判断する。
分からないと言ったり、試行錯誤している姿を見せたりするのは、未熟さの表れだと思っていたのです。
このようなマネジメント像を前提にすると、自分の違和感はより強まりました。
自信満々に見えるタイプではない。
人前で感情を表に出すのも得意ではない。
「それっぽいマネージャー像」から、いくつも外れているように感じたからです。
今振り返れば、このマネジメント像はかなり偏っていました。
にもかかわらず、その前提を疑うことなく、「この像に当てはまらない自分=向いていない」と結論づけてしまっていたのです。
当時の私は、
マネジメントに向いているかどうかを判断する前に、
「マネジメントとは何か」をきちんと考えていなかった。
そのことに、ずっと気づいていませんでした。
今振り返って分かる「向いていない」という判断のズレ
今あらためて当時を振り返ると、「マネジメントに向いていない」という判断には、いくつかのズレがあったことが分かります。
それは能力不足というより、捉え方の問題でした。
まず大きかったのは、苦手意識と不適性を混同していたことです。
慣れていない、やり方が分からない、手応えを感じにくい。
そうした状態は、本来なら「経験不足」や「調整途中」と捉えるべきものです。
しかし当時の私は、それらをまとめて「向いていない」と処理してしまっていました。
特にマネジメントは、成果がすぐに見えにくい役割です。
自分が直接手を動かしたわけではないのに、結果だけが返ってくる。
あるいは、何も起きないこと自体が成果である場合もあります。
この構造を理解していなかったため、手応えのなさ=失敗、という短絡的な判断になっていました。
次に、自分に合わないマネジメントの「型」だけを基準にしていた点もズレていました。
前の章で触れたように、当時の私は、
・感情表現が豊か
・場を盛り上げる
・前に出て引っ張る
といったタイプを、マネジメントの正解だと思い込んでいました。
その結果、
「自分はそういうタイプではない」
=「マネジメントに向いていない」
という、かなり短絡的な結論に至っていたのです。
もう一つのズレは、役割理解が追いついていなかったことでした。
プレイヤーの延長線上でマネジメントを捉え、「自分がうまくやれない=全体もうまくいかない」と感じていました。
本来は、すべてを自分で抱え込まない設計に切り替える必要があったにもかかわらず、その視点を持てていませんでした。
さらに言えば、「うまくできていない時期」を、そのまま最終評価にしてしまっていた点も大きなズレです。
マネジメントは、短期間で適性が判断できるものではありません。
試行錯誤しながら、自分なりのやり方を作っていく役割です。
それにもかかわらず、数回の違和感だけで結論を出してしまっていました。
こうして整理してみると、
当時の判断は「向いていない」というより、
・理解が浅かった
・基準が偏っていた
・経験途中で結論を出していた
この三つが重なった結果だったと分かります。
つまり、私が否定していたのは、
マネジメントそのものではなく、
「当時の自分が思い描いていたマネジメント像」だったのです。
マネジメントは「才能」ではなく「設計」だった
「マネジメントに向いていない」と感じていた頃の私は、どこかでマネジメントを“才能の問題”だと考えていました。
向いている人は自然にできて、向いていない人はいくら頑張っても苦しい。
そんな前提を、無意識に置いていたのだと思います。
しかし、経験を重ねて少し距離を置いて見るようになると、その考え方自体がズレていたことに気づきました。
マネジメントは、個人の資質だけで決まるものではありません。
むしろ、どう設計するかによって、負荷も成果も大きく変わる役割でした。
当時の私は、マネジメントを「自分が前に出て何とかする仕事」だと捉えていました。
そのため、判断・調整・フォローをすべて自分で抱え込み、結果として消耗していました。
これでは、向いているかどうか以前に、続けられる設計ではなかったと思います。
一方で、マネジメントを「仕組みを整える仕事」と捉え直すと、見え方が変わってきました。
誰が何をすればよいのかを明確にする。
判断基準を共有する。
問題が起きたときに、個人ではなく構造として対処できるようにする。
こうした設計の積み重ねが、マネジメントの大部分を占めていたのです。
この視点に立つと、感情表現が得意であることや、場を盛り上げる力は必須条件ではありませんでした。
論理的に整理する力、優先順位をつける力、曖昧な状態を放置しない姿勢。
これらも、十分にマネジメントの武器になり得ます。
また、すべてを完璧にこなす必要もありませんでした。
自分が不得意な部分は、仕組みで補う。
あるいは、チーム内の別の強みに任せる。
そうした役割分担を前提にした設計こそが、現実的なマネジメントだったのです。
振り返ってみると、私が「向いていない」と感じていたのは、
才能が足りなかったからではなく、
自分に合わない設計の中で、無理にやろうとしていたからでした。
マネジメントは、誰かの完成形を真似ることではありません。
自分とチームに合った形を考え、調整し続けるプロセスそのものです。
そう捉えられるようになってから、「向いている/向いていない」という二択で考える必要はなくなりました。
「向いていない」と感じやすい人の共通点
マネジメントに対して「自分は向いていない」と感じやすい人には、いくつか共通する傾向があります。
それは決して能力が低いからではありません。
むしろ、仕事に対して真剣だからこそ陥りやすい状態だと、今では感じています。
一つ目は、責任感が強く、物事を自分ごととして抱え込みやすいことです。
チームの問題やメンバーの課題を、「自分の至らなさの結果」だと受け止めてしまう。
その結果、うまくいかない状況が続くほど、自分を否定する方向に思考が傾いていきます。
二つ目は、成果が見えにくい仕事に不安を感じやすいことです。
マネジメントの成果は、数値や完成物としてすぐに現れない場合が多くあります。
それにもかかわらず、プレイヤー時代と同じ感覚で「手応え」や「達成感」を求めてしまうと、常に物足りなさを感じることになります。
三つ目は、「理想のマネージャー像」を無意識に持っていることです。
自信があり、コミュニケーションが得意で、場をまとめるのがうまい。
そうしたイメージと自分を比べるほど、「自分は違う」と感じやすくなります。
この比較は、向き不向きを冷静に判断するうえで、あまり役に立ちません。
四つ目は、できていない部分にばかり目が向きやすいことです。
トラブルや失敗、うまく伝わらなかった場面ばかりが記憶に残り、
整理できていたことや、問題が起きなかったことには目が向きにくい。
その積み重ねが、「自分は向いていない」という印象を強めていきます。
最後に、学習途中で結論を出してしまいやすい点も挙げられます。
マネジメントは、試しながら形を作っていく仕事です。
それにもかかわらず、短期間の違和感や失敗だけで、自分に向いていないと判断してしまう。
これは、真面目な人ほどやってしまいがちな思考です。
こうした共通点を並べてみると、
「向いていない」と感じやすい人は、
マネジメントに不向きなのではなく、
むしろ、丁寧に向き合おうとしている人であることが多いと分かります。
もし当時の自分に声をかけるなら
もしあの頃の自分に声をかけられるとしたら、
「向いていないと決めるには、まだ早い」
そう伝えると思います。
当時の自分は、違和感を感じた瞬間に、それを結論にしていました。
うまくできていない=向いていない。
苦しい=自分には合わない。
そうやって、早めに線を引くことで、自分を守ろうとしていたのだと思います。
でも今なら分かります。
その違和感は、才能の欠如ではなく、理解と経験が追いついていなかっただけでした。
分からない状態で悩むのは、向いていない証拠ではありません。
むしろ、ちゃんと向き合おうとしていた証拠でした。
あの頃の自分には、もう一つ伝えたいことがあります。
マネジメントは、「自分が何とかする仕事」ではない、ということです。
全部を背負わなくていい。
うまく回る形を考えればいい。
それだけで、随分と楽になるはずだ、と。
そしてもう一つ。
他人のマネジメントを基準にしなくていい。
自分と同じやり方を、誰かになぞる必要はない。
静かに整理し、仕組みを作り、判断を積み重ねる。
それも立派なマネジメントだと、今なら言えます。
最後に、こうも声をかけたいです。
「今は自信がなくてもいい」
「迷っている自分を、切り捨てなくていい」
マネジメントは、最初から自信満々でやるものではありません。
試しながら、自分なりの形を作っていく過程そのものが、役割の一部です。
もしあの頃の自分が、この言葉を聞けていたら、
「向いていない」という結論を出す前に、
もう少しだけ、立ち止まって考えられていたかもしれません。
今「マネジメントに向いていない」と悩んでいる人へ
もし今、「自分はマネジメントに向いていないのではないか」と感じているなら、
その感覚を、すぐに否定する必要はありません。
無理に前向きになる必要も、答えを急いで出す必要もないと思います。
多くの場合、その悩みは突然生まれたものではなく、
日々の違和感や、小さな失敗、手応えのなさが積み重なった結果です。
だからこそ、簡単な言葉で片付けられないのも自然なことです。
ただ一つ、立ち止まって考えてみてほしいのは、
その「向いていない」という判断が、
本当に能力の問題なのか、それとも置かれている形や期待とのズレなのか、という点です。
マネジメントには、正解の形が一つしかないわけではありません。
前に出て引っ張るタイプもいれば、後ろから支えるタイプもいる。
感情で場を動かす人もいれば、構造で支える人もいます。
どれが正しい、という話ではありません。
もし今のやり方が苦しいなら、
「自分は向いていない」と切り捨てる前に、
「この形は自分に合っているのか」と問い直してみてください。
問いを変えるだけで、見える景色は少し変わります。
また、うまくできていない時期があること自体は、失敗ではありません。
マネジメントは、慣れや試行錯誤を前提とした役割です。
違和感を感じるのは、ちゃんと考えながら進もうとしている証拠でもあります。
今は答えが出なくても構いません。
「向いている/向いていない」という二択に急いで当てはめず、
自分なりに続けられる形を探していく。
それも、十分に前向きな選択だと思います。
もし少し余裕があるなら、
今感じている違和感を、メモでもいいので言葉にしてみてください。
そこには、あなたなりのマネジメントのヒントが隠れているかもしれません。
まとめ|マネジメントに向いていないと思った理由は、誤解だった
「マネジメントに向いていない」
そう感じていた理由を振り返ってみると、それは能力の問題というより、捉え方の問題でした。
当時の私は、
苦手意識や違和感を、そのまま不適性だと結論づけていました。
マネジメントに対する一面的なイメージを前提にし、
その枠に当てはまらない自分を、早い段階で切り捨てていたのです。
しかし、時間を置いて見直してみると、
向いていなかったのはマネジメントそのものではなく、
「こうあるべきだ」と思い込んでいたマネジメント像でした。
マネジメントは、特別な才能を持った人だけの役割ではありません。
感情で人を動かすことだけが正解でもありません。
仕組みを整え、判断基準を共有し、無理なく回る形を作る。
そうした設計もまた、立派なマネジメントです。
「向いていない」と感じるほど悩んだ経験は、
裏を返せば、それだけ真剣に向き合っていたということでもあります。
その違和感を理由に、自分の可能性を早々に閉じてしまう必要はありません。
マネジメントは、向き不向きで切り分けるものではなく、
自分なりのやり方を探し、調整し続けていく役割です。
もし今も迷いの途中にいるなら、
その時間自体が、すでにプロセスの一部なのだと思います。
「向いていない」と思った理由が、誤解だったと気づけたこと。
それは、マネジメントを続けるかどうかとは別に、
自分の働き方を見直すうえで、大きな意味を持つ経験でした。
この記事が、同じように悩んでいる誰かにとって、
結論を急がずに立ち止まるための、ひとつの材料になれば幸いです。

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