若手と同じ土俵で戦うのをやめた理由

体験談

若手エンジニアと同じように学び、同じように成果を出そうとして、
気づけば以前よりもしんどくなっていた——そんな感覚はありませんか。

コードを書くスピード、吸収の早さ、学習量。
どれも大切だと分かっているからこそ、若手と比べて焦り、
「まだいけるはずだ」と自分を追い込み続けてしまう。

でもある時、ふと思いました。
この戦い方は、本当に自分に合っているのだろうか。

この記事では、40代のエンジニアである私が
若手と同じ土俵で戦うのをやめた理由と、
その結果、キャリアが“静かに楽になっていった”過程をお話しします。

成長を諦めた話ではありません。
むしろ、自分の強みを活かす場所に移動しただけです。

今、同じような違和感を抱えている方にとって、
「こういう考え方もある」と思えるきっかけになれば幸いです。

かつては「若手と張り合う」ことが正解だと思っていた

エンジニアとしてある程度の年数を重ねても、
「まだまだ若手には負けていない」という感覚は、どこかにありました。

技術は日々進化するし、学び続けなければ置いていかれる。
そう分かっているからこそ、
若手と同じように学び、同じスピードで成果を出すことが正解だと信じていたのです。

新しい技術が出れば、なるべく早くキャッチアップする。
業務後や休日も勉強にあて、
「量」で差をつけられないなら「努力」で埋めようとしていました。

周囲から「経験者」と見られる立場である以上、
若手より理解が遅い、手が止まる、という状況を
どこかで許してはいけないと思っていたのも事実です。

だからこそ、無意識のうちに比べていました。
コードを書くスピード、理解の速さ、アウトプットの量。
表には出さなくても、心の中では常に
「まだ勝てているか」「置いていかれていないか」を測っていたのです。

当時の自分にとって、
若手と張り合い続けることは「成長を止めないための努力」であり、
それ以外の選択肢は、まだ考えられませんでした。


違和感を覚え始めた瞬間

はっきりとした挫折があったわけではありません。
誰かに負けた、と突きつけられた瞬間があったわけでもない。

ただ、ある時から少しずつ、
同じことをしているはずなのに、以前よりもしんどい
そんな感覚が残るようになりました。

新しい技術を学ぶこと自体は、嫌いではありません。
それでも、若手と同じペースでキャッチアップしようとすると、
学習が「楽しい」よりも「追いつかなければ」に変わっていったのです。

仕事が終わった後も、
「今日はここまで理解できたから良し」ではなく、
「若手ならもっと進んでいるはずだ」という基準で
自分を評価するようになっていました。

結果として、
できていることより、できていないことばかりが目につく。
以前なら気にならなかった小さな遅れにも、
必要以上に焦りを感じるようになっていたのです。

決定的だったのは、
努力しているにもかかわらず、達成感がほとんど残らなくなったことでした。
アウトプットは出ている。評価も悪くない。
それでも、心のどこかで
「このやり方を続ける意味はあるのだろうか」
という疑問が消えなくなっていました。

その違和感は、声を上げるほど大きなものではありません。
ですが、無視して走り続けるには、
確実に蓄積していく種類のものでした。

そしてこの時、まだはっきりとは言語化できていませんでしたが、
薄々気づき始めていたのだと思います。
若手と同じ土俵で戦い続けること自体が、
自分にとって最適ではなくなりつつある
ということに。

伸び悩みを感じ始めたときに起きていること。
👉 3〜5年目で「このままでいいのか」と感じ始めた理由|エンジニアが立ち止まる本当の原因


若手と同じ土俵で戦うことの“見えないコスト”

若手と同じ土俵で戦うこと自体が、
間違いだと思っていたわけではありません。
実際、それで成果を出してきた時期もありました。

ただ、続けるうちに気づいたのは、
目に見える成果とは別に、確実に支払っているコストがあるということでした。

まず一つ目は、時間と体力の消耗です。
若手と同じペースで学び続けるためには、
業務外の時間を削り、集中力を振り絞り続ける必要があります。
それは一時的には可能でも、
長期的に続けるには、かなり無理のある戦い方でした。

二つ目は、自己評価の軸が他人基準になることです。
「昨日の自分より前進できたか」ではなく、
「若手より遅れていないか」が基準になる。
この状態が続くと、
できていることが正当に評価できなくなっていきます。

三つ目は、本来の強みが使われなくなることでした。
経験から来る判断力や全体を見る視点、
過去の失敗を踏まえたリスク感覚。
そうした強みは、
スピード勝負の土俵では、ほとんど評価されません。

むしろ、
「もっと早く」「もっと新しく」という基準の中では、
自分の価値が相対的に低く見えてしまう。
その結果、
自分が積み上げてきたものを、自分で軽視するようになっていました。

そして何より大きかったのは、
消耗していることに、気づきにくいという点です。
成果は出ている。評価も悪くない。
だからこそ、「まだ大丈夫だ」と思ってしまう。

しかし実際には、
モチベーションや余裕、判断の質といった
目に見えない部分から、少しずつ削られていきます。

この“見えないコスト”に気づいた時、
ようやく理解できました。
若手と同じ土俵で戦い続けることは、
負けるリスク以前に、消耗し続けるリスクが高すぎるのだと。

土俵を変える、という選択

若手と同じ土俵で戦うことをやめよう。
そう決めた時、正直なところ、
大きな決断をしたという感覚はありませんでした。

むしろ近かったのは、
「無理をし続けなくてもいいのではないか」
という、静かな納得感です。

それまでの自分は、
若手と同じ基準で戦い続けることを
どこかで「成長し続ける証拠」だと思い込んでいました。
ですが、土俵を変えることは、
成長をやめることでも、負けを認めることでもありませんでした。

きっかけは、自分の仕事を振り返ったことでした。
早く書いたコードよりも、
「この設計は分かりやすい」「後から手を入れやすい」
そう評価される場面が増えていることに気づいたのです。

また、トラブルが起きた時に、
過去の経験から「このパターンは危ない」と察知できたり、
関係者の意図を整理して言語化したり。
そうした部分に、自分の価値があると感じるようになりました。

そこで初めて、
戦うべき場所は、スピード勝負の土俵ではない
という考えが、腑に落ちました。

若手の強みは、吸収力と行動量。
自分の強みは、経験を踏まえた判断と整理、
そして「全体を止めない」ための視点。

どちらが上かではなく、
そもそも役割が違う。
そう捉えられるようになったことで、
無理に張り合う必要はなくなりました。

土俵を変えるとは、
新しい場所に移動するというより、
もともと自分が立つべき場所に戻る
そんな感覚だったのかもしれません。


若手と“競わない”ことで、逆に評価され始めた話

若手と張り合うのをやめたからといって、
すぐに何かが劇的に変わったわけではありません。
ですが、時間が経つにつれて、
少しずつ周囲の見え方が変わっていきました。

まず変わったのは、
任される仕事の質でした。

新しい技術を最速で試す役割よりも、
「この設計で問題ないか見てほしい」
「この仕様、関係者に説明してもらえないか」
そんな相談が増えていったのです。

以前の自分は、
「若手と同じアウトプットを出さなければ評価されない」
と思い込んでいました。
しかし実際には、
アウトプットの“量”や“速さ”以外の部分
きちんと見られていました。

また、チーム内での立ち位置も変わりました。
若手の成果を脅威として見るのではなく、
「どうすればこの強みが活きるか」を考える余裕が生まれた。
その結果、自然と
橋渡し役や整理役を任されるようになっていきました。

不思議なことに、
競わなくなったことで、
自分の意見を落ち着いて伝えられるようにもなりました。
以前はどこかで
「負けていないこと」を証明しようとしていたのかもしれません。

評価の仕方も、変わりました。
目立つ成果ではなく、
「この人がいると全体が安定する」
「判断が的確で助かる」
そんな言葉をかけられる機会が増えたのです。

それは、
誰かに勝ったから得られた評価ではありません。
競うのをやめ、自分の役割に集中した結果、
自然と返ってきた評価
でした。

この時、ようやく実感しました。
土俵を変えたことで、
自分の価値が下がったのではなく、
見える形が変わっただけだったのだと。

それでも「学ぶこと」をやめたわけではない

若手と同じ土俵で戦うのをやめたからといって、
学ぶこと自体をやめたわけではありません。

ただ、はっきりと変えたのは、
若手と同じ学び方をするのをやめたという点でした。

以前は、新しい技術が出るたびに
「とにかく触っておかなければ」と焦っていました。
流行を追い、網羅的に学び、
理解の浅さに落ち込む——
そんなサイクルを繰り返していたのです。

今は、学ぶ前に一度立ち止まります。
「これは、今の自分の役割に本当に必要か」
その問いを通したものだけを学ぶようになりました。

たとえば、
設計やレビューで判断を求められる立場なら、
最新フレームワークの細かい書き方よりも、
なぜそう設計するのか、どこで破綻しやすいのか。
そうした視点を深めるほうが、価値につながります。

また、
「知っているか」よりも
「説明できるか」「人に伝えられるか」を
意識するようにもなりました。
理解を整理し、言語化する学びは、
経験者だからこそ積み上げやすい分野です。

学習量は、正直減りました。
ですが、
学んだことが実務で使われる確率は、
以前より確実に高くなっています。

若手のように幅広く高速で学ぶフェーズは、
確かに存在します。
ただ、それを一生続ける必要はありません。

経験を重ねた今だからこそ、
学びを「競争」ではなく
「役割を果たすための道具」として
選び取れるようになった。

それが、
若手と同じ土俵を降りたあとも
学び続けられている理由です。

もし今、若手と比べて苦しくなっているなら

もし今、若手と比べて
焦りや苦しさを感じているとしたら、
まず伝えたいのは、
それは珍しいことでも、恥ずかしいことでもないということです。

真面目に仕事と向き合い、
成長し続けようとしてきた人ほど、
この違和感にぶつかります。

大切なのは、
その感覚を「衰え」や「限界」と
決めつけてしまわないことです。
多くの場合、それは
フェーズが変わり始めているサインに過ぎません。

若手と同じ基準で戦うことが、
これまであなたを成長させてきたのは事実です。
ですが、同じ戦い方が
これからも最適とは限りません。

比べる相手を、
他人から「昨日の自分」に戻してみてください。
何が判断できるようになったのか。
どんな失敗を避けられるようになったのか。
そうした変化は、
スピード勝負の中では見えにくいだけです。

また、土俵を変えることは、
今すぐ何かを捨てることでもありません。
少しずつ、
自分の強みが活きる役割に重心を移していく。
それだけでも、
心の負担は驚くほど軽くなります。

若手と比べて苦しくなった時は、
「負けている」のではなく、
戦い方を変える時期に来ている
そう考えてみてください。

その違和感は、
これまで積み上げてきたキャリアを
手放す合図ではありません。
次の形に進むための、入口なのだと思います。

40代以降もエンジニアとして働き続けるための考え方については、こちらの記事も参考にしてみてください。
👉 40代エンジニアが“静かに生き残る”ためにやめたこと・続けたこと

まとめ|土俵を変えたら、キャリアは静かに安定した

若手と同じ土俵で戦うのをやめたことは、
キャリアを諦めたという意味ではありませんでした。

むしろ、
自分の強みが活きない場所で消耗するのをやめ、
長く立ち続けられる場所に移動した
それだけのことだったのだと思います。

スピードや学習量で競うフェーズは、
確かに存在します。
そしてそれは、多くのエンジニアにとって
成長に欠かせない時間でもあります。

ただ、そのフェーズを過ぎたあとも、
同じ戦い方に固執する必要はありません。
経験を重ねたからこそ担える役割があり、
その役割に合わせた戦い方があります。

土俵を変えた結果、
目立つ成果は減ったかもしれません。
ですがその代わりに、
判断の精度や仕事の安定感、
そして自分自身の納得感が残りました。

若手と競わなくなったことで、
焦りは減り、
キャリアは静かに安定していきました。

もし今、
若手と比べて苦しさを感じているなら、
それは「終わり」ではありません。
次の場所へ移るタイミングなのだと思います。

無理に勝ち続けなくていい。
自分の強みが活きる場所で、
長く、静かに働き続ける。
そんなキャリアの選び方も、
確かに存在しています。

長期的なキャリア形成の考え方については、こちらの記事も参考にしてみてください。
👉 「エンジニアは“爆発力”より“持久力”|燃え尽きずにスキルを伸ばし続ける思考と習慣」


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