「自分、エンジニアに向いてないんじゃないか」
30代前半、未経験からエンジニアを目指していた頃、何度そう思ったかわからない。
プログラミングの勉強をしていても、周りより覚えが遅い。現場に入っても、技術力では明らかに置いていかれる。「センスのある人」と「そうじゃない人」がいるとしたら、自分は間違いなく後者だと感じていた。
それでも今、2度の転職を経て年収は400万円から900万円になった。
特別なスキルを身につけたわけじゃない。有名な資格を取ったわけでも、突出した技術力があるわけでもない。変わったのは、「どこで戦うか」と「どう動くか」という設計だけだった。
このブログは、そういう話を書いていく場所だ。
才能がなくてもキャリアは設計できる。頑張りすぎなくても、消耗しなくても、選択と戦略次第で市場価値は上げられる。それを、自分の20年近くの実体験をもとに、できるだけ正直に残していく。
エンジニアになる前の自分の話
エンジニアになる前は、サービス・接客系の仕事をしていた。ITとは無縁の世界だ。
仕事自体が嫌いだったわけじゃない。ただ、30代に入った頃から「このまま続けて、10年後どうなるんだろう」という感覚が頭から離れなくなっていた。給料はなかなか上がらない。キャリアの先も見えない。じわじわとした閉塞感が、日常の隅にずっと居座っていた。
そこで目を向けたのがITエンジニアだった。
きっかけはそれほど大したものじゃない。「需要がある」「場所を選ばず働けそう」「今よりは稼げそう」。その程度の動機だった。エンジニアに憧れていたとか、プログラミングが好きだったとか、そういう話じゃない。現状を変えたくて、消去法で選んだに近かった。
ただ、決断するまでには時間がかかった。
30代前半という年齢が、頭の中でずっと引っかかっていた。「今さら未経験で入れるのか」「同期は20代ばかりになるんじゃないか」「そもそも自分に向いているのかすらわからない」。
それでも動いたのは、「このままの方がよっぽどリスクが高い」と思えたからだ。現状維持を続けても、10年後に後悔する未来しか見えなかった。あの決断は、今でも正しかったと思っている。
SESでのスタートと「普通以下」の実力
専門学校を経て、SES企業からエンジニアキャリアをスタートした。
最初にアサインされた現場は、クライアント企業の社内サービスの改修案件だった。期間は約半年。そしてアサインされたメンバーは、自分一人だった。
設計、開発、テスト、リリース。すべてを一人でやる。
聞ける相手がいない。社内に誰もいない。わからないことがあっても、自分で調べて、自分で判断して、自分で進めるしかない。未経験からエンジニアになったばかりの人間が、いきなりそういう環境に放り込まれた。
毎日、定時に終わったことはなかった。
「自分、本当に向いてないんじゃないか」と思いながら、それでも帰れない。調べても調べても、わからないことが次から次へと出てくる。スマートにこなせる自分の姿など、どこにもなかった。
ただ、今振り返ると、あの環境が自分を鍛えたのも事実だ。誰かに頼れないから、自分で考えるしかない。不格好でも、遅くても、なんとか形にするしかない。その経験が、「わからなくてもとりあえず動く」という癖を作ってくれた。
技術力は、周りと比べれば明らかに低かった。でも「もがき続けること」だけは、誰にも負けていなかったと思う。
2度の転職で変わったこと
1回目の転職:「このままでは天井が見える」と気づいた
SESで数年働いた頃、あることに気づいた。
自分の上司の年収が、自分とたいして変わらなかった。
それが全てだった。「この会社に居続けても、伸び代がない」と確信した瞬間だった。中小のSES企業では、上流工程の経験を積むのは難しい。単価も上がりにくいから、年収も頭打ちになる。いくら頑張っても、構造的に限界がある。
問題は「自分の努力」ではなく「いる場所」だと気づいた。
そこで動いたのが、大手SIerへの転職だった。目的は明確だった。上流工程の経験を積むこと。マネジメントのスキルを身につけること。そして年収を上げること。感情ではなく、戦略として転職先を選んだ。
結果、年収は上がった。経験できる仕事の幅も広がった。「転職は環境を変える手段だ」という感覚が、ここで初めて腑に落ちた。
「会社のキャリアではなく、自分のキャリアを生きる」
SIerでマネジメントの経験を積んでいく中で、別の違和感が生まれてきた。
案件は会社が決める。アサインも会社が決める。自分のやりたいことやキャリアの方向性を伝えても、反映されることはほぼなかった。完全に会社都合で動かされている感覚。自分のキャリアなのに、自分で設計できていなかった。
「このままでは、また天井が見える」と思った。
今度は年収だけが目的じゃなかった。業界の幅を広げたい。職能のレベルを上げたい。そして何より、自分のキャリア志向を反映できる環境で働きたい。そう考えて選んだのが、外資系コンサルだった。
自由度は上がった。扱う案件の幅も、求められるレベルも、SIer時代とは別次元だった。楽ではなかったが、「自分でキャリアを動かしている」という感覚は、初めて持てた気がした。
2回の転職を通じて気づいたのは、転職とは「逃げる手段」ではなく「設計する手段」だということだ。何となく嫌だから動くのではなく、次にどこで何を得るかを決めてから動く。それだけで、転職の結果はまったく変わる。
凡人エンジニアが市場価値を上げるために本当に大切だったこと
20年近くエンジニアをやってきて、結局一番大事だったのは技術力でも資格でもなかった。
「自分が何を大切にしているか」を明確にすること。そして「それを実現できる環境を選ぶこと」。たったそれだけだったと思っている。
SESにいたとき、自分が求めていたのは「上流工程の経験」と「年収アップ」だった。だからSIerに移った。SIerで会社都合に振り回されたとき、自分が求めていたのは「キャリアの自由度」だった。だから外資系コンサルに移った。
毎回、華やかな理由じゃない。でも、自分の価値観に正直に動いた結果が、年収400万円から900万円という変化につながった。
逆に言うと、自分の目的や価値観が曖昧なまま動くと、転職しても同じ不満を繰り返す。「なんとなく今の環境が嫌だから」という理由で動いた友人を何人も見てきた。転職先でも同じことを言っていた。
環境を変えることより、「自分が何を求めているか」を先に言語化すること。それができれば、転職は賭けではなく設計になる。
技術力は、正直なところ今でも突出しているわけじゃない。それでもなんとか20年近くやれているのは、「どこで戦うか」を自分で考え続けてきたからだと思っている。才能がなくても、センスがなくても、それだけは誰でもできる。
まとめ:このブログで伝えていくこと
このブログは、成功自慢を書く場所じゃない。
迷いながら、遠回りしながら、それでもなんとか積み上げてきた記録を、できるだけ正直に残していく場所だ。
未経験からエンジニアを目指している人、3〜5年目で伸び悩んでいる人、40代のキャリアに不安を感じている人。自分のステージに近いカテゴリから、気になる記事をひとつだけ読んでみてほしい。
「才能があるから成功した話」は、この先一切出てこない。その代わり、「こう考えて、こう動いたら、こうなった」という一人の凡人エンジニアのリアルな記録が、ここにある。
キャリアは、才能ではなく設計で決まる。それを、これからも書き続けていく。


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