内定がないまま、専門学校を卒業した。
リーマンショックの直後だった。在学中に就職活動をしていたが、求人そのものが絞られていて、未経験からIT業界を目指す人間に回ってくる枠は多くなかった。
卒業式の日、進路が決まっていない状態で学校を出た。
そこから2ヶ月後に、1社目となるSES企業から内定をもらった。この記事では、その2ヶ月間に何を考えて、何をしたかを書く。今まさに同じ状況にいる人に、少しでも参考になればと思う。
内定がないまま卒業するということ
在学中の就職活動は、うまくいかなかった。
新聞奨学生として働きながら夜間の専門学校に通っていた。午前3時に起きて配達をして、日中も働き、夜は授業。その合間に就職活動をしていた。
応募した数は100社を超えていた。それでも決まらなかった。
理由は自分の力不足もあるが、時期の問題も大きかったと思う。リーマンショック後の採用市場は明確に絞られていた。未経験者を育てる余裕がある企業が減っていた時期だった。
卒業が近づくにつれて、焦りが増した。同級生の中には決まっている人もいた。自分は決まらないまま、卒業の日を迎えた。
何者でもない状態で、社会に放り出された感覚だった。学生でもなく、社会人でもない。所属がないということが、こんなに落ち着かないものだとは思っていなかった。
「あと半年」と期限を切った
卒業して最初にやったのは、期限を決めることだった。
あと半年頑張ってみる。 それで決まらなければ、別の道を考える。
そう決めたのには理由がある。期限を決めずに続けると、いつまでも決断を先送りにしてしまう。貯金は減り続ける。「もう少し」と思っているうちに、選択肢がなくなっていく。
半年という数字に明確な根拠があったわけではない。ただ、貯金の残りと生活費を計算して、なんとか持ちこたえられるのがそのくらいだった。
東京に留まることも決めた。実家に戻れば生活費は浮くが、求人の数が違う。IT企業の求人は圧倒的に首都圏に集中している。ここで粘る方が確率が高いと判断した。
新聞奨学生は卒業とともに終わった。住まいも収入も、自分で確保しなければならなくなった。貯金を取り崩しながらの生活が始まった。
条件を捨てて、片っ端から応募した
活動方針は明確だった。条件にこだわらない。
在学中は、まだどこかで会社を選んでいた部分があった。事業内容、勤務地、なんとなくの企業イメージ。そういうもので絞り込んでいた。
卒業後は、それを全部捨てた。
とにかくIT業界でキャリアをスタートさせる。それだけを目的にした。実務経験さえ積めれば、次の選択肢は後から作れる。まず業界に入ることが最優先だった。
使った手段も広げた。
ハローワークを積極的に活用した。 求人サイトだけを見ていた在学中と比べて、明らかに求人の幅が広がった。ハローワークには、大手求人サイトに出ていない中小企業の求人が多くある。未経験可の枠も、そこで見つかることがあった。
求人サイトも複数使った。 一つのサイトに絞らず、複数登録して横断的に探した。同じ企業でも、掲載されているサイトによって条件の見え方が違うこともあった。
そして、見つけたものには片っ端から応募した。 条件を吟味して選ぶより、まず数を出す。落ちることを前提に、応募し続けた。
無職期間の精神状態
正直に書くと、この時期はきつかった。
収入がないまま、貯金が減っていく。 これが一番こたえた。毎月、残高が確実に減る。働いていないのだから当然なのだが、数字が減るのを見るたびに焦りが増した。
日中、自分だけが動いていない感覚。 平日の昼間に街を歩くと、周りは働いている人ばかりに見える。自分だけが社会から切り離されている気がした。
落ち続けることへの慣れと、慣れないこと。 書類で落ちるのは日常になった。ただ、面接まで進んで落ちたときは、やはり落ち込んだ。「自分は必要とされていないのか」という考えが頭をよぎる。
それでも動き続けられたのは、期限を切っていたからだと思う。「半年」というゴールがあったから、目の前の不採用を一つ一つ深刻に受け止めずに済んだ。今日の1社は、半年のうちの1社でしかない。そう思うようにしていた。
2ヶ月後に決まった
結果的に、卒業から2ヶ月後に内定が出た。SES企業だった。
半年の期限に対して、2ヶ月。自分で決めた期限の3分の1で決まったことになる。
決まった理由が何だったのかは、正直はっきりしない。タイミングだったのかもしれないし、応募数を増やしたことで単純に確率が上がったのかもしれない。面接での受け答えが、少しずつ上達していた可能性もある。
ただ一つ言えるのは、条件を捨てて応募範囲を広げたことは、確実に効いたということだ。在学中と同じ基準で探し続けていたら、2ヶ月では決まらなかったと思う。
入社したSES企業が理想的な会社だったかというと、そうではない。年収は上がりにくかったし、キャリアも自分で選べなかった。6年以上在籍して、限界を感じて転職することになる。
それでも、あそこで業界に入れたこと自体が、その後のすべての起点になった。年収400万円台から900万円近くまで上げられたのも、最初の1社があったからだ。
同じ状況にいる人へ
内定がないまま卒業した、あるいは無職で就職活動をしている人に、自分の経験から言えることを書く。
期限を決める。 これは強く勧めたい。無期限の活動は精神的に消耗する。「いつまで頑張るか」を決めると、目の前の不採用を相対化できる。
条件は後から取り戻せる。 最初の1社が理想的である必要はない。業界に入って実務経験を積めば、次の選択肢は自分で作れる。自分は2度の転職でキャリアを立て直した。
応募の手段を広げる。 求人サイトだけ、大手だけ、という絞り方をやめる。ハローワークを含めて、使える手段は全部使う。未経験を受け入れる企業は、有名でない場所にあることが多い。
落ちた数を数えない。 100社落ちたことに意味はない。必要なのは受かる1社だけだ。数えると心が折れる。
よくある疑問への回答
Q. 内定がないまま卒業すると、その後不利になりますか?
在職期間の空白が長くなるほど説明は必要になるが、数ヶ月程度なら大きな問題にはならない。むしろ「その期間に何をしていたか」を説明できるかが重要だ。学習を続けていた、資格を取ったなど、行動していた事実があれば説明できる。
Q. 条件を下げて入社して、後悔しませんでしたか?
入社直後は「こんなはずでは」と思う場面もあった。ただ、実務経験を積めたことの価値の方がはるかに大きかった。実際、その経験があったから次の転職ができた。最初の1社で人生が決まるわけではない。
Q. 無職期間の生活費はどうしていましたか?
貯金を取り崩していた。だから期限を決める必要があった。状況によっては、アルバイトをしながら活動する選択肢もある。ただし活動時間が減るというトレードオフはある。自分の場合は、短期集中で決めることを優先した。
まとめ
内定がないまま専門学校を卒業し、貯金を取り崩しながら東京で就職活動を続けた。期限は半年と決めた。条件は捨てて、ハローワークも含めて片っ端から応募した。
2ヶ月後に、1社目のSES企業から内定が出た。
理想的な会社ではなかった。それでも、そこで業界に入れたことがすべての起点になった。今から振り返ると、あの2ヶ月を粘ったかどうかが、その後の20年を分けていたと思う。
決まらない時期は、本当にきつい。ただ、必要なのは受かる1社だけだ。


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